ご 理 解 と 御 協 力 を !

皆様いかがお過ごしでしょうか。この不況下にあっても、ますます御健在にて御活躍の事と推察申し上げます。

さて私儀今回皆様に、多少ともご迷惑な事を承知の上、御理解と御願いを申し上げる失礼をお許し下さい。

「中国シルクロード沿線甘粛省に小学校を建設したい」

[夢・想い]終戦後日もまだ浅い頃、物資不足著しく糊口を凌ぐに精一杯の時代に僕は小学校に入った。あまつさえ汲々とした世相にあって、内地疎開者の我々が生きる事は並大抵ではなかった。

入学しても学用品は満足でなく、鉛筆を買えない僕らは乾電池の炭素芯を削って代用とした。

入学時の小学校(分校)は覚えていないが、間もなくして何処かから工場の解体材だとかが運び込まれ、二階建の教室が完成したのを覚えている。

冬期靴も無くおやじが作った下駄での通学、栄養補給の為のユニセフからか支給品の脱脂粉乳、貧困の中にあって僅かな夢を持ち続けた。

[僕にもなにか]もう20年も前になろうか、新聞紙上のネパールに学校を作った、と言う記事が目がとまり、その建設費用50万円と言う内容に心ひかれた。

と言うのもその頃夫婦して、学校になにか協力できたらなー、などと他愛ない話から、子供等が読みふるした本を、多分まだ使えるだろうと思われるものを選んで図書室に持ち込みもした。

しかし現在の日本においては、モノ余り現象下にあり、多少の協力ではそれ程意味を持たなくなっていた。幸いにも我国においては公教育が発達し、教育必要品がほとんど調達されている結果でもある。

新聞記事の内容は僕らに新鮮さを与えてくれた。

よし、困っている人の為に学校を作ろう。新聞の公共広告機構などへ問い合わせたが、結果的に話は頓挫。

もとより生活に余裕がある訳ではなく、何とか捻り出せるものならとの発想からの結果であり、貧乏人ゆえの浅知恵であるかも知れない。しかしこの話は我らの胸中に夢として温存し続けた。

その後、スリランカ、モルディブに旅する機会を得、教育環境の不充実さの中にあってもなお、子供達の輝く瞳に圧倒されたものである。

[中国に!]共に語り合った妻も病に倒れ、故あって中国人と再婚する事が出来た現在、比較的近い大国中国にあっても、西域辺境地では教育投資が貧弱で、学校に通えない子供達がいるとも聞く。

中国では、これらの子供等の将来を心配して、婦女連合会、児童福利会が「春蕾計画」「希望小学校」等と銘打って、国の内外に寄付を仰ぎ教育に力を注いでいる。

当上伊那にあっても各種ルートで参画し、それなりの成果を上げている様である。かかる状況であれば僕も寸志として提供すれば事は済む。

[少しでも理想に近く!]近頃の新聞や情報誌等によれば、それら善意の結果は必ずしも僕の心を晴れ晴れとさせてくれない。

その最大の要因は、多くの人の善意が必ずしも全額、当地でその目的に使用されていないのではと思われる事である。

僕から見ればそんな事はどうでも良いと思われる完成祝賀行事。

また御国柄と言ってしまえばそれまでだろうが、為政者と住民との格差も見逃す事が出来ない。出来れば為政者も住民も共に貧困である地区を援助の対象にしたく、これらの判断は日中貿易に携わり、事情に明るい人の意見を参考にしたい。

僕は多くの心有る人々の協力を得て、質素透明で心ほのぼのとした活動にと、多くの華々しい歓迎など不要、善意全額が有効に活用できる計画に、賛同者の英知を集めて実行したいと思う。

[候補地は!]現在、有名な陜西省西安から500kmほどシルクロードを西に行った、甘粛省蘭州市近辺の臨兆県、会寧県などが候補に上がっている。要する目標資金は600万円である。

今までの善意は陜西省内が多いようであるが、甘粛省は中国最貧地区と聞き、僕らの思いが通じる地域かなと考えている。

賛同して下さる方々には、随時情報を流して協力を仰ぐと共に、周辺の方々にも話題を提供していただき、かかる思想の高揚にも御協力いただければ幸いである。

未来を担う世代の教育の世界的視野にたち、加えて我らの夢に等しい想いの実現に多くの同志の賛同と協力を心よりお願い申し上げます。

基金名は長野甘粛希望小学建設基金としました。

2000年3月吉日  箕輪町富田 白鳥巳喜男

[友人知己に配布した、お願いの文書]

基金名は、現在 中国希望小学校協力基金と、改称されております
トップページヘ戻る
前のページへ